大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

青森地方裁判所弘前支部 昭和34年(ワ)165号 判決

主文

一、被告は原告が別紙第一目録表示の土地を通行することを妨害してはならない。

二、訴訟費用は被告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は主文と同旨の判決を求め、その請求の原因として次のとおり述べた。

一、訴外鳴海辰之助は別紙第二目録表示の(一)ないし(五)の畑(これを無番地外四筆の畑または以下同様に地番のみをもつて七三番畑七七番畑などを表示する)を所有していたが、昭和三年ころ別紙第二目録表示の(六)の畑(別紙図面表示の(ホ)(ヘ)の点を結んだ線の東側の部分)同(七)の畑(右線の西側の部分)の所有者であつた訴外須藤金四郎との間に無番地外四筆の畑を要役地とし、別紙第一目録表示の土地(これを本件土地という)を承役地とし、これを通行の便益に供する地役権設定契約を締結した。

二、右契約を締結するにいたつたいきさつは次のとおりである。

訴外鳴海辰之助は大正一一年一月二五日以前から八五番畑のうち別紙図面表示のトリチの各点を順次結んだ線上にあつた巾員九尺の土地(これを旧土地という)を使用していたが、訴外須藤金四郎が旧土地を開墾するため、旧土地上の通行をやめさせたが、その際旧土地に代えて本件土地を通行の便益に供することにした。

三、訴外鳴海辰之助が昭和三三年九月三〇日死亡し、長女の訴外鳴海みつゑが無番地外四筆の畑の所有権と地役権を相続によつて取得し、昭和三四年二月五日このうち無番地を除くその余の四筆の畑につき所有権移転登記を経由し、原告は昭和三四年一月二〇日同訴外人から無番地外四筆の畑を買受け、同年六月二九日無番地を除くその余の四筆の畑につき所有権移転登記を経由した。

四、他方原告、訴外須藤ミヨ外四名が昭和二五年一〇月二二日八四番、八五番畑を相続によつて取得したが、訴外須藤ミヨを除くその余の五名が昭和二七年三月一二日その持分権を放棄したので、同訴外人の単独所有に属した。

五、ところで被告は八四番八五番畑を耕作していたが、昭和三四年六月ころ本件土地に溝を掘つて原告の通行を妨害している。

六、よつて原告は通行地役権に基づき主文一のとおりの裁判を求める。

被告訴訟代理人は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め、答弁として次のとおり述べた。

一、原告主張一の事実中、訴外鳴海辰之助が別紙第二目録表示の(一)ないし(四)の畑四筆を所有していたことは認めるが、地役権設定契約の締結の事実は否認する。同二の事実は否認する。同三の事実中訴外鳴海辰之助の死亡の日時は認めるが、その余の事実は知らない。ただし地役権の点については否認する。

二、原告主張の旧土地と本件土地の位置には通路らしき形態はなく、いずれもりんご畑として耕作されていた。原告は旧土地が八五番畑の一部であり、本件土地が八四番八五番畑の一部であると主張しているが、本件土地は別紙第二目録表示の(八)の畑(八一番畑・別紙図面表示の(A)(B)の各点を結んだ線の南側の部分)と同(九)の畑(九一番畑、右線の北側の部分)にまたがる場所に位置している。

八一番畑はもと訴外藤田辰五郎の所有であつたが、訴外須藤金四郎が明治四一年にこれを買受け、さらに被告が昭和二一年一月七日家督相続によつてこれを取得し、九一番畑はもと訴外藤田万之助の所有であつたが、訴外須藤金四郎が大正のはじめころこれを買受け、さらに被告が昭和三年ころ贈与を受け、いずれも被告所有の畑である。なお訴外須藤金四郎は大正四年ころ八一番九一番畑に等間隔にりんごの樹を植えたが、原告の主張する本件土地の近傍にも他の箇所と同様にりんごの樹を植えたものであつて、その後これらが生育し、相互の枝が交さし、本件土地は全く通路としての形態をととのえていない。

証拠(省略)

別紙

第一目録

弘前市大字鬼沢字猿沢八四番

畑  二畝一四歩(別紙図面表示の(ホ)(ヘ)の各点を結んだ線の東側部分の畑)

同所八五番

畑  七畝一五歩(右線の西側部分の畑)

のうち同図面表示の(イ)(ロ)(ハ)(ニ)(イ)の各点を順次結んだ直線内の土地

第二目録

(一)弘前市大字鬼沢字猿沢七三番

畑  一反七畝一四歩

(二)同所七七番

畑  二畝二六歩

(三)同所七八番

畑  一反七畝二二歩

(四)同所二二一番

畑  六畝一歩

(五)同所無番

(六)同所八四番

畑  二畝一四歩

(七)同所八五番

畑  七畝一五歩

(八)同所八一番

畑  四畝二歩

(九)同所九一番

畑  二六畝九歩

〈省略〉

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例